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第四章
「深想」

プロローグ 「神曲」

『アキハ』     

 

それは聞き間違えることない優しい声。    

 

どうして。  

 

『キミは私を魔法使いのようだと言ってくれたね』     

どうして今会いにきたの。  

『けれど、キミが思っているようなものではないんだ』      

 

どうして先生がそんな顔をするの。    

 

どうして。  

 

『それでもキミは、その無垢な瞳で変わらずに見てくれるのかな』   

 

――寂しい瑠璃色の双眸は、一人の少女を見つめていた。

プロローグ 「死線」

終わりの淵。    

 

一歩踏み出せば希望の光が待っているだろう。    

 

一歩踏み外せば呆気なく絶望の闇に呑まれるだろう。    

 

現実に酷似した夢だからか、それとも持って生まれた性分なのか。    

 

僕はそのような瀬戸際にいてもなお、唄うことを続ける。    

 

祈ったのだ。    

 

一人の少女の笑顔を。    

 

抗ったのだ。    

 

理不尽な終末に。    

 

手向けだったのだ。    

 

僕に音楽を教えた、かの者への。

第4章「深想

『悪者みたいに言わないで! 先生のこと何も知らないくせに!! ミコトくんなんて……。……ミコトくんなんて、大っ嫌い!!』  

まさか君から、あんな言葉を投げられる日がくるとは、今まで考えてもみなかった。

君にとって“あの先生”が、特別な存在だということは、よく解っていたはずなのになあ。  

一度目のブザーが鳴った。  

緞帳の裏。薄暗い舞台のうえで静かに息を零した。

この幕の向こうからはまだ、まばらな足音が聞こえてくる。  

いつも肝心なときに、ヘマをしてしまうのは宿命なのだろうか。

だとしても、今回ばかりは己の価値観を否――理想を押し付けてしまっただけなのだろう。思い返してもあの時の僕は、僕らしくなかったかもしれない。  

やはり、言葉にして想いを伝えるというのは、とても難しい。どれだけ正確な語句を使い、表現をしたとしても、相手がその意味を良くも悪くも、僕の想いの範疇をこえて受け取ってしまったら……。  

そんなこと考えてしまったら、キリがないことも分かっているのだけど。

『先生に会いに行こうと思うの』  

朝日を一身に浴びたガラス玉のような、君の瞳が羨ましく、同時にそのままの君でいて欲しいと強く願ってしまったんだ。  

キュッと襟元の赤いリボンを締め直す。  

僕は君みたいに、真っ直ぐなヒトではないけれど、それでも言葉を音に乗せたら近くにいられる気がする。想いを届けられる気がするんだ。  

ああ。欲を言えば、この緞帳があがった先に君がいたらと思う。初めての舞台を君にも楽しんでほしかった。 「僕はこんなに我儘だったかな」  

宙に問いかけても言葉が返ってくることはない。誰よりも僕のことを知っている“君”なら呆れ笑っていることだろうか。  

照明がついた舞台上に一瞬だけ別の影が飄々と漂った。僅かに口元を緩む。  

向こうからの足音は一切なくなり、二度目のブザーが響く。  

ゆっくりと、幕が上がる。

*****    

 

『明葉のことを思って僕は……』  

珍しく震えていたミコトくんの声が、はっきりと頭の中で流れる。  

どうして、私はすぐに感情的になってしまうのだろう。どうして、目の前のことに囚われてしまうのだろう。そんな私をミコトくんがいつも支えてくれていたというのに。  

どうして、彼を傷つけるような言葉を言ってしまったのだろう。  

コンコンとノックされ簡素な返事をする。顔を上げれば礼装に身を包んだお父様が部屋に入ってきた。

「お父さんたちはもうホテルの開館式に向かうけど、明葉はミコトくんの演奏会に行くでいいんだよね?」  

浮かない視線は、テーブルの上の招待券に向けられる。  

心は決まっているはずなのに、あんな酷いことを言ってしまった手前行きづらい。  

私なんかが行ってもいいのだろうか……。

「明葉」   

そっと頭にお父様の手のひらが乗る。大きくて優しくて小さい頃から大好きなお父様の手。

「明葉が思っていること、ちゃんと後悔しないように伝えておいで。今はまだ、明葉は明葉がしたいことを全うしなさい」   

視線が重なる。べっこう飴みたいに甘く穏やかな色をしたお父様の瞳。そのなかに写る自身とも目が合って、私は頷いた。

「ありがとうお父様。  行ってきます」    

講堂を目指して走る私の手の中で、一枚のチケットがくしゃりと鳴いた。

最も高い位置につこうとする太陽。そこから降り注ぐ光が、今日はやけに熱く感じる。  

あの時の自分を何度思い返してみても、壊れかけのレコードみたいにぎこちない。  

でも、抑えることができなかった。

『これからどうするか決まった?』  

もっとバレエの勉強をしたい。たくさんの人にバレエの魅力を伝えたい。  

それがミコトくんの問いに、素直に出てきたこたえだった。  

この二年間、他の先生にも教わったけど……。やっぱりローシー先生のバレエが大好き。魔法使いみたいに見た人の心をワクワクさせたり、ドキドキさせる魔法。幼いときから私はその魔法に魅了されていたのだから。  

絶対、先生に会いに行くんだ。どこにいるかも分からないけど、必ず見つけてみせる。   それでいつか大きな舞台に出る時は、ミコトくんに特等席を用意するからね。  

それが私のやりたい事なんだって、もう一度ミコトくんにちゃんと話したい。  

だから、まずは謝らないと。  

ミコトくんの演奏会が行われる講堂まで、まだまだ時間はかかる。間に合わないかもしれない。

……ううん、間に合わせるんだ。 強く地面を踏み込んだときだった。

――私の視界が大きく揺れた。

*****

 

気がつくと僕は、観客のいない講堂の舞台の上に一人だった。  

一体何が。それを考えるよりも先に、黒く熱いものに肺が蝕まれる感覚に侵された。耳に入るのはバチバチと威圧的な音、音、音。その音に耳を傾けてしまったとき、視界は燃え盛る炎で覆い尽くされる。  

またこの夢か……。  

足下は晴れの舞台を祝う真っ赤な絨毯などではなく、この身を焼こうと狂喜に沸く火炎の海。  

何度この夢かと疑う夢を見ても、僕は何かに取り憑かれたように、その場から動くことができなかった。  

一体何が僕の体の自由を奪っているのか。  

考えても考えても、この脚は舞台から降りることを選ばない。逃げることを良しとしないのだ。  

焼かれた舞台装置が落下し、炎が更に燃え上がる。  

その刹那、目に映ったのは緑の木々が赤く染まっていく光景だった。しかしそれは火花に消し去られ、黒煙に全身が巻かれる。  

声を出すのもやっとだというのに、僕は歌うことをやめない。  

もう誰も聞く人などいないはずだというのに。  

何故。  

この歌ももう間もなく終わりを迎える。  

そうか。僕は……歌と共に舞台の上で。  

全身から意識の底までを焼かれ尽くされそうになったとき。

『ミコト』『ミコトくん』  

不意に耳に届いた男女の声に口角があがった。  

ああ、演奏中の私語は慎むべきだよ。君たちは全く、昔から……昔から……?  

最期の一小節。  

その懐かしくも正体の分からない声音によって、僕は歌いきることなく意識を手放していく。  

ただ赤い紅い朱いその世界で、僅かに純白の光を見た。  

そうだ。君に伝えたい言葉があったんだ。  

名前の顔も思い出せないのだけれど、言い残したことが。    

僕は最期に喉を振り絞った。    

 

君に、幸あれ。  

 

――ハッと目を覚ます。いつの間にか机に伏して眠ってしまっていたらしい。  

僕は何度あの夢を見れば気が済むのだろうか……。  

重い体を起こして、赤色の窓ガラスから差し込む夕日をぼんやりと眺めた。

*****

 

激しい頭痛と、肌を焼くような痛みで、ぼんやりと目が覚める。最初に見たのは溶けるような赤い地面。  

それはゆっくりとゆっくりと広がっていき、嗅いだことの無い不快な臭いに鼻を劈かれる。  

あれ、何が……。私、どうして……。  

意識はあるというのに、自分が今どうなっているのかが全く分からない。体を動かそうにも、自分が化石にでもなってしまったみたいに動けないのだ。  

ただ、その赤に塗り尽くされていく視界を、眺めることしかできなかった。自分が持っているはずだった何かが、身体から欠けてしまっている。  

もしかして、私……死んじゃうの、かな。  

突拍子もなく頭に浮かんだ考え。それは、振り払おうにも強くこびりついて、私を侵していく。  

一体何が起きたのか。  

この染まっていく赤い視界を見たくないのに、気づけば目を閉じることすらできなくなっていた。  

怖い、怖いよミコトくん……助けて。  

違う。本当に伝えなきゃいけないのは、もっと違う言葉だよ。  

初めてミコトくんに会った日から、とりとめのないありふれた毎日が急速に思い返される。  

嫌だ。こんな終わり方イヤだよ……。  

だって、ミコトくんのこと大嫌いなんかじゃないもん……。    

 

ごめんね、大好きだよ。    

 

 視界が醜い赤に染まったとき、懐かしい声が名前を呼ぶ。

「アキハ」  

感覚なんてもうないと思ったのに、手のひらを優しく包まれた気がする。

「私なら君を救うことができる」  

落ち着きのある男性の声が届くと同時に、失われていた何かが戻ってくる。

「まずはゆっくり息を吸ってごらん」  

この声が誰なのか、私は理解していた。  

忘れるはずがないのだ、この声の持ち主を。  

聞きたいこと、言いたいことが溢れそうになるなか、言われるがままに私は息を吸った。

当たり前の生命活動がぎこちない。すると下半身に急激な痛みが走った。  

突然の痛みに意識を失いかけるも、声が優しく私を導く。

「大丈夫。私は君を救える。だけれど、それは君を苦しませることになるかもしれない」  

痛みは次第に引いていき、苦しかった呼吸もいつの間にか落ち着いていた。  

とても暖かいのに、不思議な感じ。知っているのに、初めて会うような錯覚。 

「此方を向いてごらん」  

ゆっくり、ゆっくり、声の方へ顔を向ける。  

どうして。  

どうしてここにいるんですか。

「せ、んせ……」  

二年ぶりに会うというのに、先生は変わっていなかった。透き通るような菜の花色の髪。まるで天使のような美しさに、私は見とれてしまった。ただ私を見つめる眼は、見たことがないほど儚く寂しい蒼色をしていた。

「ごめんね。これは私のエゴなんだ。君と関係を絶とうと決めたはずなのに、こうして君の運命を歪ませてしまう」   

先生、先生……。そんな悲しい顔をしないで。

「アキハ」  

私の名前を今一度呼んで、先生は瞼を閉じた。それから握っていた手をギュッと握り直した。こんな時だというのに、私の心臓は正直に大きく、鼓動を鳴らしてしまう。

「アキハは、君が君でなくなったとしても生きることを選べるかい」  

私が、私でなくなる……? 私は最近そんな話をした覚えがあった。  

そうか、ミコトくん……。ミコトくんが言いたかったこと、わかっちゃったかもしれない。  

けど、私はまだ生きていたい。  

生きて、やりたい事がたくさんあるから。

「……生き、たい」  

潰れた声でかろうじて返事をする。それを聞いた先生は、静かに目を開いた。

「君が一人で生きられるようになるまで、私も共に時間を過ごすことを誓おう」  

魔法使いなんかじゃない。先生は天使の微笑みを浮かべる。私にはそれが、まるで求婚の言葉のように受け取れてしまい、全身がみるみる熱くなっていく。

「それじゃあアキハ、目を閉じて」  

それを慌てて誤魔化すように、私は先生の言葉に身を委ねた。

「おやすみ」  

先生のその言葉を最後に世界が暗転する。そのなかで炎が燃える音、人々が泣き喚く声、何かが崩れ落ちる音。判別しきれないほどの音が一気に耳に流れ込んできた。  

一体何が起きたのか、この時の私は知る由もなかったのだ。    

 

「さあ目覚める時間だよ。  

 

 アルバ」

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