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Acerca de

第一章
「氷の山」

歌 「星命学」

君はいつも飄々としていた。

手に掴むことができない影のように。  

君はいつも下を向いていた。

眩しい光を恐れる花のように。  

そんな君のことを見守ることができるのは、自分だけなのではないか。

自分が傍にいなくては。

心のどこかで偉そうなことを思っていたあの頃が懐かしい。  

君なら大丈夫。  

君なら大丈夫。  

長い年月が過ぎて、この世界に君がいる確証はないというのに、そう思ってしまう自分が不思議で仕方ない。   次会うときは、馬鹿みたいに笑い話でもしよう。  

積もる話がたくさんあるんだ。

小説 「氷の山」

ある人を探して夏風と共に家中を駆け回る。居間にもおらず、中庭もおらず、お気に入りの書斎にも姿は見えない。  

 一刻も早く見つけなくてはならないのに。

 出掛けてしまったのだろうかと玄関先へ足を向ければ、目的の人はそこにいた。

「ミコトくーん、やっと見つけた」  

 名前を呼んで駆け寄る。こちらを振り返るミコトくんの黒髪が風に揺れた。

「どうしたの?」  

 ミコトくんが涼しい微笑みを浮かべるなか、私のこめかみからは汗が伝う。

「うん。もしかして出かけるところだった?」

「いいや、掃除をしていたところだよ」  

 そう言った右手には手拭いが握られており、足元にはバケツがひとつ置かれていた。

「呼んでくれればよかったのに」

「これは僕の仕事だからね」

「でも……」

「学校では友人だとしても、此方では今まで通りだよと何度も言ってるだろうに」   

 私が言い淀むと、幼子を窘めるように決まってそう言う。口が覚えてしまっているのか、すらすら迷いなく口にするのだ。こうなってしまうと私は言い返すことができず、言葉を飲み込んだ。

「それでほら、どうしたの?」  

 その言葉にハッと顔を合わせる。

「氷! かき氷食べよう!」

 

*****  

 

 縁側に飾られた風鈴が耳から涼しさを。手元の器に盛られた氷は口の中を冷たさをもたらす。先程までの汗もすっかり引いていた。

「旦那様が昨夜お持ちになった箱の中身が、まさかこれだったとは」  

 二人の間に置かれた氷削機をミコトくんはまじまじと見ている。

「前のがすっかり古くなっちゃってたから」

「回す度に悲鳴が上がっていたものね」

「そうそう! いつ壊れてもおかしくなかったもん」  

 思い出し笑いに気を取られている間にも、かき氷は山が崩れはじめていく。慌てて何口かかきこめば、キーンと頭に鈍い痛みが広がった。

「いっ……」   

 俯いて悶えている横から、「一気にがっつくからだよ」と半ば呆れたミコトくんの声が降ってくる。  

 うう……返す言葉もない。  

 両手で頭を挟み痛みを誤魔化す。俯いた拍子に前に垂れ込んできた髪を、少し鬱陶しく思ってしまった。

「髪、伸ばしているんだっけ」  

 ミコトくんからの急な問いかけにそのまま頷く。

「この季節は少し暑そうだね」

「うん……」  

 ようやく痛みが和らいだと思えば、手元のかき氷は液体に戻ってしまっていた。 

「ああっ……」

「もう一回作ろうか」  

 顔をあげるとミコトくんの器は綺麗に空になっている。

「僕ももう一杯食べたいと思ったんだ」  

「氷持ってくるよ」とミコトくんは立ち上がった。私はいちご色の水が入った硝子の器を横に置いて、自分の髪を手で束ねる。首元を吹き抜けていく風が心地いい。いっその事ミコトくんみたいに切ってしまえば、無駄に暑い思いもしなくていいのだろうけど……。  

 チリンチリンと風鈴が鳴く。  

 髪をほどく。置いた器を両手に持って、私は溶けたかき氷を喉に流し込んだ。甘く冷たい水が体の中に流れていくのがよく分かって不思議な感覚がする。

「そんな飲み方したら、また頭痛くなるよ」  

 戻ってきたミコトくんはお鍋を持って、小さく笑っていた。

「今度は平気だったもん」

「ならよかった」  

 お鍋の中に入れてきた氷を、ミコトくんは手際よく支度する。さっきの分で使った氷は少し小さくて、削られていくと同時に溶けているような気もする。

「頑張れ頑張れミコトくん」

「このままもう使い切ってしまおうか」  そう言って、ひとつの容器に氷の山ができあがった。そこにいちごシロップをかければ、あっという間に完成である。お店ではなかなか見かけない量に心が踊る。

「贅沢だ~」

「お腹壊さないようにね」

「そんながっつかないよ!」

「さっきからいい勢いじゃないか」

「今度は気をつけて食べるから」

「極端だからね君は」  

 匙にのせる量を気をつけて口に運ぶ。シャキシャキとした氷の食感が美味しい。

「髪結ってみたらいいのに」  

 私と反対側から匙を氷の山にさしながらミコトくんは話し出す。

「その方が涼しいだろうし、勉強の邪魔にもならないだろう?」

「だって……顔見られるの恥ずかしい……」

「恥ずかしがることではないと思うけど」

「ミコトくんは乙女の気持ちが分からないんだよー」

「あはは。それはそうかもしれないな」  

 ザクっと多く掬ってしまった。戻すわけにもいかなくて食べたけど、この量だと痛みが出なくてほっとする。

「どうして氷を削るだけで、こんなにも美味しく感じるのだろうね」  

 この人はいつも突然だ。

「シロップをかけているからでしょ?」

「それなら砂糖水でもよくない?」

「ええ~……食感?」

「それもあるだろうけど、僕はこう思うんだ」  

 ミコトくんは匙に小さな一口分を掬って、そこにできた小さな山を見つめる。

「氷が溶けてしまうから」  

 思わず首を傾げる。

「溶けちゃうから美味しいってこと?」

「そんなところ」  

 そしてミコトくんはぱくりと小さな山を口に入れた。

「ひとは終わりというものに、どうしても心を惹かれてしまう。価値を見出してしまう」

 ミコトくんの話は時に小難しく聞こえて、私はその度頭が痛くなりそうで深くは聞かないようにしていた。でも珍しく聞き返した。

「それって、とても悲しくない?」  

 こちらを向いたミコトくんの独特な濃い赤色の瞳が揺れる。

「どうだろう。終わりがあるからこそ幸せなのか、終わりがないことが幸せなのかは、ひとには一生理解できないかもね」

「なんで?」

「ひとの命が有限だからだよ。ひとは何かの終わりを知るのが先か、自らの命が終わるのが先かのどちらかだから。  

 ひとでないものにしか、永遠が幸せかどうかは分からないと思う」  

 ミコトくんの話はやっぱり難しい。  

 この人が私よりもたくさんのことを知っているからだろうか。  

 私は持っていた匙を立てる。

「でも、かき氷が美味しいならそれでよくないかな? 結局いつか人は最期を迎えてしまうなら、それまでを幸せに生きるだけだよミコトくん」

「それもそうだね」  

 ミコトくんが目を細めて笑う。その表情を見て私も頬が緩んだ。   

 大きかった氷の山も、二人で食べればあっという間に小さくなっていた。

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